仏壇

彦根仏壇の歴史・由緒

彦根仏壇の起源は遠く徳川時代中期とされ、武具、武器の製作にたずさわっていた塗師、指物師、錺(かざり)金具師などが平和産業としての仏壇製造に転向したのが始まりといわれています。

彦根市のある湖東地域は湖北地方と並び、古くから仏教の盛んな地でしたが、徳川時代のキリシタン宗門の禁止政策の強行で、異教徒でない証拠として仏壇を設けることが一般化してきたことと、彦根藩主の強力な庇護のもとに、問屋制家内工業の形態とこれにともなう分業組織を完成し、彦根の城下町と中山道とを結ぶ重要点である通称『七曲がり』で発展の基盤が整備されました。

明治維新による混乱期や、第一次、第二次大戦などの影響など多くの制約を受けましたが、戦後彦根仏壇同業組合が結成され検査制度を設けるなど品質の向上につとめ、生産は順調に推移しました。 その生産地域も彦根市全域に広がり、彦根の地場産業の一つとして大きく飛躍し、現在に至っています。

仏壇
国の伝統工芸品に指定されている
「彦根仏壇」

昭和49年5月に「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」が施行され、同年12月に協同組合を設立し、昭和50年5月に通産大臣(現 経済産業大臣)から指定(業界初)を受けました。


特徴・仏壇製造工程(工部七職・匠の技)

彦根仏壇は檜、姫小松、欅等を素材とし、「工部七職」と呼ばれる七部門の専門職により伝統の手作業で製造されています。そのため、部品は「ほぞ組み」という分解可能な構造になっています。仏壇前面に木目の美しさを浮き出させる“木目出し塗り”、控えめで上品な色味の“金箔つや消し押し”などが彦根仏壇の特徴です。
1.木地 [木地師] (きじし)
欅、檜松、黒檀などの木材から仏壇に適したものを選んで本体を作ります。設計図はなく、注文によって「杖」と呼ばれる定規を新しく作って製作します。
2.宮殿 [宮殿師](くうでんし)
1600種にも及ぶ小さな木片の部品を造り、組み立てて屋根や柱を作ります
3.彫刻 [彫刻師]
仏壇の装飾部に花、羅漢、菩薩などのデザインを、のみ、小刀などで手彫りします。精密で細かい作業です。
4.漆塗 [漆塗師]
下地、中塗、上塗の順で漆を塗り、更に研ぎ出し、磨く作業を繰り返します。仏壇製造の中で最も重要な工程です。天然の木材を使用するため、漆塗りをすることで耐久性を高めます。木材の木目が見えるように塗る「木目出し塗り」は彦根仏壇の特徴です。
5.蒔絵 [蒔絵師]
漆などで下絵を描き、その上に金粉、銀粉、貝などを蒔き、研いで、磨いて、仕上kuげの線を加筆して仕上げます。豪華さや立体感を出す技法は「泥盛り」と呼ばれます。
6.金箔押 [金箔押師]
仏壇一本に対し、千枚以上の金箔を1枚づつ貼り付けます。息づかいにも気を遣う繊細な作業です。
7.錺金具 [錺金具師]
金、銀、銅などを使って彫金(手彫りや手加工)し、仏壇の装飾金具を作ります。仏壇一本に300〜800の金具が使用されます。
8.組立 [仏壇店]

以上七職の職人が製作した部品は仏壇問屋が組み立て、仕上げを行って、ようやく一本の仏壇が出来上がります。いずれも熟練の技を要する手仕事であり、製作には2カ月、長いと2年かかるものまであります。

工部七職の写真 ~江戸時代よりかたくなに守り続けた伝統の技~

新しい取組

  • 伝匠彦根甲冑
  • 彦根藩井伊家の朱色で統一された軍装は、「井伊の赤備え」として広く知られています。甲冑は戦場を駆け回る機能、そして自己と家臣を鼓舞し、武勇を誇示する優美さを兼ね備えた日本工芸の頂の一つです。
  • 大津祭曳山ミニチュア
  • 国の重要無形民族文化財「大津祭」の曳山「源氏山」をモデルとして、4分の1サイズに再現しました。木地・漆塗・金箔押・彫刻など「工部七職」とよばれる彦根仏壇の職人が3年の歳月をかけ、彦根仏壇の伝統技術を駆使して、精巧かつ豪華絢爛に仕上げました。