白洲信哉の近江山河抄 其の三「百済寺・石塔寺編」
最終更新:2023年01月26日
世界遺産でつながるまちづくりコンソーシアム 近江ヒストリア講座
「世界遺産でつながるまちづくりコンソーシアム」は、湖東湖北5市4町 (長浜市・米原市・彦根市・東近江市・近江八幡市・多賀町・甲良町・ 豊郷町・愛荘町)の商工団体、観光団体など23団体で構成する「彦根城の世界遺産登録」の実現を目指す共同事業体です。
白洲信哉の近江山河抄 其の三「百済寺・石塔寺編」
琵琶湖を中心とした日本文化の発祥の地、近江。「天智天皇2年には、百済が滅び、再び多くの帰化人がこの地に移住した。当時の遺品の一つに、有名な石塔寺の三重塔がある。(中略)私は日本一の石塔だと信じている」と『近江山河抄』(白洲正子著)には書かれている。「近江ヒストリア講座」では孫の白洲信哉氏を招聘し、今の視点から近江の「えたいの知れぬ魅力」を捉え直し、紡いでいきます。其の三は、濱中亮成師(百済寺住職)と薬師行哲師(石塔寺住職)に歴史と伝承を、白洲氏に、「渡来文化」とは何かを考えながら、独自の石の文化を生んだ近江の魅力についてお話しいただきます。
日時
2023年2月5日(日) 13:30開場 14:00~16:00
参加費
500円(学生無料)
定員
200名(定員になり次第締切)
場所
八日市文化芸術会館 (東近江市青葉町1番50号)
●当日は、駐車場に限りがあります。できるだけ公共交通機関でお越しください。
講師
白洲信哉氏・濱中亮成師(百済寺住職)
video出演 薬師行哲師(石塔寺住職)
主催
世界遺産でつながるまちづくりコンソーシアム
(事務局:彦根商工会議所 彦根市中央町3-8 TEL.0749-22-4551)
協力 長浜市・米原市・彦根市・東近江市・近江八幡市・多賀町・甲良町・豊郷町・愛荘町
釈迦山 百済寺 東近江市百済寺町
紅葉の名刹として知られる百済寺は湖東三山最古の寺である。推古14 年、聖徳太子によって創建されたという。1400年以上前のことだ。創建当時は、渡来僧や先進的な文化・技術を伝えた渡来系氏族の氏寺として発達した。
平安時代、比叡山延暦寺が開創されると天台宗となり、「湖東の小叡山」「天台別院」と称されるほど壮大な寺院になり隆盛を極めたが、信長の兵火によって悉く焼き尽くされた。そのとき焼失を免れた御本尊「十一面観世音菩薩」(別名:植木観音菩薩、全高3.2m)は、2022年国の重要文化財となった。
百済寺には井伊直滋公の御墓がある。井伊家2代当主直孝は次期当主と目されていた嫡男直滋を突然勘当し、彦根藩領内の百済寺に隠遁させた。直滋は寛文元年(1661)この世を去るが、勘当・隠遁・の理由は明らかになっていない。
阿育王山(あしょかおうざん) 石塔寺 東近江市石塔町
石塔寺の「三重石塔」は高さ7.45メートル、日本最古・最大で、国の重要文化財に指定されている。石塔の別名は「阿育王塔」、造立は7世紀後半頃というが確かなことはわかっていない。何万基という数の石塔・石仏群が波のようにこの塔の周囲を埋めつくし、かつて信仰の中心であったことを物語っている。
寺伝によると、紀元前3世紀阿育大王がインドを治めたとき仏法の興隆を願って8万4千の塔婆(ストゥーパ)を造り、仏舎利を納めて世界中にまき散らした。そのうちの2つが日本に飛来し、ひとつは琵琶湖、もうひとつは寺の裏山だった。
寺は聖徳太子が近江に建立した48か所の最後の寺で「本願成就寺」と称したが、平安時代中期以降、阿育王塔の寺として知られ「阿育王山石塔寺」となったという。数々の謎に包まれた寺には渡来の異国の雰囲気が漂っている。
近江ヒストリア講座「 白洲信哉の近江山河抄」其の三「百済寺・石塔寺編」講師プロフィール
1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。2013~2018年骨董・古美術専門誌 月刊『目の眼』編集長を務める。
父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)朱漆「根来」 中世に咲いた華(目の眼)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)がある。
昭和47年(1972)生まれ。
平成6年百済寺山内喜見院住職拝命。平成7年近畿大学農学部農学研究科卒業。平成10年近畿大学農学部大学院博士前期課程修了。平成13年滋賀県愛知郡愛東町役場入庁(現 東近江市役所)。
現在勤務先 東近江市役所農林水産部林業振興課課長補佐。令和4年1月百済寺住職拝命
昭和43年(1968)生まれ。
龍谷大学経済学部卒業。
民間企業勤務を経て平成6年、比叡山行院遂行
平成9年石塔寺住職就任